カイニョとは

1⃣ 「カイニョ」という言葉

1・「屋敷林」のことを、当地では「カイニョ」「カイニュ」あるいは「カイナ」とゆう。近世文書では「垣根」という漢字をあて、ひらがなで「かいね」と書いている。

2・『総合日本民俗語彙(ごい)』には、淡路島では、「カイネ」は田畑の地境を示している。関東では田畑の地境を「クネ」といい、東北では屋敷林の事を「イ(家)」をつけて、「イグネ」「エグネ」(家久根・居久根)と言っている.

3・屋敷の境、屋敷と田んぼの境、そんなところにある木が、「ネグ」「イグネ」である。散居村の「カイニョ」は、屋敷と耕地の間の地帯に植樹された植林の意味と解釈して良いと考えられる。

屋敷林の成立

屋敷林の始まりは、人々が原野を切り開いて、開拓を始めた頃に行われた。

人々は、自分の住む家を風雨や吹雪から守り、冬の寒さをしのぎ、夏の強い日差しを避けるためには、家の周りにある原生林を残す必要があった原生林に覆われた扇状地の開拓当初に造られたと考えます。

   第一に、原生林の一部を残して屋敷林とした

   第二に、身近な植生で屋敷林に相応しい木々を選んで家の周りに植えた。

   第三な、資源(燃料)として、成長の早い植生をした。

1 砺波散居村の景観

 「散居村」の風景は、家々を取り囲む「屋敷林」(カイニョ)によって、その美しさが一層引き立てられています。

散居村の伝統家屋は、アズマダチやマエナガレの母屋、白壁の蔵、納屋そして灰納屋が配置されています。これらをゆったりと包み込むように「屋敷林」(カイニョ)が取り囲み、砺波平野そのものが壮大な自然公園にみえ、特有の農村原風景と成っています。

2 屋敷林の成立

➊ 砺波平野の開発は、中世に入って、周辺部の山麓地帯から、次第に沖積平野の中央部へ進められた。

➋ 屋敷林の効用として、先に防風・防雪と考えられ、その植生は、自然在来の樹種を生かしながら、次第にスギ等の有用樹種に変えられ、今日のような形態となった。

3 屋敷林の「多徳」 宮永正運の『私家農業談』1789

第一風寒を防ぎ、盗賊の用心と成、或いは、隣家の火災の難を防ぐ枝葉は、薪の絶間を助け、しん木は間を抜き伐て、財用を足し、落葉は、竈(かまど)の脤わいとなし、又は、田畑の糞(ふん)の補いともなる防風、防寒、防火、燃料、用材、肥料などに対する多くの効果がある。